電気雑誌「OHM」100年史 −夢を追いかけた電気技術者の歴史−

電気技術の変遷、技術者の足跡を、雑誌記事と世相とともに辿る異色の技術史

このような方におすすめ

・「OHM」および「新電気」定期購読者
・電力会社、電機メーカー、鉄道会社など
・企業図書館、大学図書館、公共図書館
・日本電気技術者協会、電気系の学会・協会・工業会に所属する電気技術者
  • 著者山崎 靖夫 著/OHM編集部 編
  • 定価6,600 (本体6,000 円+税)
  • A5 554頁 2019/08発行
  • ISBN978-4-274-50742-7
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  • 概要
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 本書は、電気雑誌「OHM」創刊号から現在に至るまで100年間に掲載された記事をもとに、電気分野の技術開発の歴史と共に、その夢を追いかけてきた技術者の足跡を辿る一冊です。

 私たちの身の周りには電気を利用したさまざまな製品が溢れており、電気は空気や水のようになくてはならないものになっていますが、いったん停電すると照明が消え、テレビも冷蔵庫もインターネットも使えません。そして電車もエレベータも病院の生命維持装置も動かなくなります。これらのことは、私たちの生活がいかに電気で成り立っているかを表しています。

 そんな便利で快適な社会生活ができるまでには紆余曲折があり、多くの困難な問題を乗り越えてきた技術者や研究者の技術開発の歴史がありました。

 大正3(1914)年11月、雑誌「OHM」は電気の専門雑誌として創刊しました。当時の一般家庭はまだ電化されておらず、電気を使うことは庶民にとって高嶺の花でした。そんな時代に西洋の優れた技術や最新の電気機器を使うことのできる日本人技術者を育て、新しい知識を提供しようということで電気工学専門雑誌「OHM」が誕生しました。また当時、印刷・組版技術と用紙の進化に伴い、個人が書籍や雑誌を求めやすい価格になり、結果として専門書籍や専門雑誌が、学術や技術の普及に貢献できるようになったのです。

 創刊当時の記事を紹介すると、エジソン(大正11年3月号)や丸ビル建設(大正11年4月号)、関東大震災(大正12年10月号)など時代を反映し、戦中戦後も欠号なく発行し、50年前の昭和39年には東海道新幹線や東京オリンピック、その後の高度成長期の技術革新や、全国各地に建設された発電所を記録しています。

https://www.ohmsha.co.jp/book/9784274507427/
第1章 創刊から関東大震災まで
第2章 帝都復興から昭和初期
第3章 第二次世界大戦
第4章 戦後復興
第5章 高度経済成長
第6章 東京オリンピックから人類初の月面着陸まで
第7章 世界2位の国民総生産 〜大阪万博/国内インフラ拡充/石油ショック〜
第8章 バブル景気
第9章 20世紀最後の10年 〜冷戦終結/阪神・淡路大震災/パソコン普及〜
第10章 21世紀を迎えて
第11章 社会とともに歩んだ100年
推薦のことば
まえがき

第1章 創刊から関東大震災まで
 1.1.1 電気雑誌「OHM」の創刊
 1.1.2 我が国の電力系統の発達
 1.2.1 アーク灯の発明
 1.2.2 電球の開発
 1.3.1 エジソン・システム
 1.3.2 交流システムの普及
 1.3.3 我が国の電力事業の伸展
 1.4.1 欧米に追いつけ追い越せ
 1.4.2 需要家の失敗
 1.4.3 故障と失策
 1.5.1 無線通信の歴史
 1.5.2 鳥潟右一博士とOHM
 1.6.1 電気は百千年の工業に君臨す
 1.6.2 船艦電気推進の利益およびその将来
 1.6.3 アインシュタインの一般相対性理論
 1.6.4 日本最初の地下電気鉄道
 1.7.1 量子論の父
 1.7.2 電氣博覧会
 1.7.3 進む電気の応用
 1.8.1 第一次世界大戦が終結
 1.8.2 電力不足問題
 1.8.3 箱根登山鉄道の開通
 1.8.4 無線電話も実用化へ
 1.8.5 東京の地下鉄
 1.9.1 アメリカで定時ラジオ放送の営業開始
 1.9.2 紙上電気博覧会
 1.9.3 電力配給主任制の嚆矢
 1.10.1 歌舞伎座で漏電火災
 1.10.2 メートル法の採用
 1.10.3 戦艦長門の竣工
 1.10.4 エネルギー競争
 1.10.5 表紙いろいろ
 1.10.6 電気事業主任技術者試験制度の変更
 1.11.1 発明王エジソン
 1.11.2 改正特許法
 1.11.3 平和記念東京博覧会
 1.11.4 火星無線通信説
 1.11.5 路面電車の混雑対策
 1.11.6 丸の内ビルヂングの完成
 1.12.1 アメリカで220kV超高圧送電開始
 1.12.2 関東大震災
 1.12.3 不帰のスタインメッツ博士
 1.12.4 鳥潟右一博士逝く

第2章 帝都復興から昭和初期
 2.1.1 1924(大正13)年、帝都東京の復興に向けて
 2.1.2 無線電信の活躍
 2.2.1 OHM創刊10周年
 2.2.2 東京放送局が放送聴取申込募集
 2.2.3 短波長放送の研究
 2.2.4 大正天皇の崩御
 2.3.1 大正から昭和へ
 2.3.2 最新の電気鉄道
 2.3.3 馬匹感電防止
 2.3.4 実用化した長距離写真無線電送
 2.4.1 1928(昭和3)年、放送事業が拡大
 2.4.2 東京地下鐵道会社第一期線(自上野 至浅草)
 2.4.3 全国に亘る大電力のラヂオ網
 2.4.4 国産の精華 NE式写真電送装置
 2.4.5 日本最初の6万6000V H型電纜
 2.5.1 1929(昭和4)年、特急列車「富士」「桜」
 2.5.2 ラジオの次にはテレヴィジョンか
 2.5.3 送電安定の秘策 ペテルゼン線輪
 2.6.1 1930(昭和5)年、一般公衆写真電送が開始
 2.6.2 世界最初の試み
 2.6.3 時代の先端を行くライト・ダイアグラム
 2.6.4 国産自動車完成す
 2.7.1 1931(昭和6)年、エジソンが死去
 2.7.2 オーム社創設の廣田精一氏逝去さる
 2.7.3 中央線の電化
 2.8.1 1932(昭和7)年、満州国建国を宣言
 2.8.2 満洲號
 2.8.3 工業界に嘱目せらるる新強磁石鋼
 2.8.4 本邦の電視界に一新鋭加ふ
 2.9.1 1933(昭和8)年、国際連盟を脱退
 2.9.2 朝鮮海峡にわたる電話線の開通
 2.9.3 水銀整流器
 2.9.4 丹那隧道が遂に貫通す
 2.10.1 1934(昭和9)年、OHM創刊20周年
 2.10.2 東京宝塚劇場の舞台照明
 2.10.3 関西風水害とその惨禍
 2.11.1 1935(昭和10)年、有名企業各社が創立
 2.11.2 送電線ができあがるまで
 2.11.3 満州の電気
 2.11.4 新京だより
 2.11.5 西日本の水害
 2.12.1 1936(昭和11)年、巨大飛行船「ヒンデンブルク」と豪華客船「クイーン・メリー号」
 2.12.2 オリンピック無線写真電送について
 2.13.1 1937(昭和12)年、通信技術の進展
 2.13.2 朝日新聞社「鵬号」と短波無線電信機
 2.13.3 亜欧連絡記録大飛行の成功

第3章 第二次世界大戦
 3.1.1 1938(昭和13)年、オリンピック東京大会の中止
 3.1.2 電氣雑誌OHM
 3.1.3 新社屋の完成
 3.1.4 国家による電力管理
 3.2.1 1939(昭和14)年、零戦試作機が試験飛行
 3.2.2 材料対策特集号
 3.3.1 1940(昭和15)年、「電力警官」が配備される?
 3.3.2 オーム奨学賞第1回贈呈式
 3.3.3 テレビジョン実験放送
 3.3.4 法隆寺の壁画照明と蛍光放電灯
 3.4.1 1941(昭和16)年、大東亜戦争に突入
 3.4.2 技術と国際関係
 3.4.3 配電統制令の公布
 3.4.4 征け皇軍、起て技術者
 3.5.1 1942(昭和17)年、米国の暗号解読とマンハッタン計画
 3.5.2 本誌の題号変更につき協力を求む
 3.5.3 米国の工業戦時体制
 3.6.1 1943(昭和18)年、学徒動員
 3.6.2 社名の変更
 3.6.3 電熱蒸気機関車
 3.6.4 竹支線の実用化
 3.6.5 電力不足下、水力余剰の状況
 3.6.6 新東海道ケーブル
 3.7.1 1944(昭和19)〜1945(昭和20)年ころ、ポツダム宣言受諾
 3.7.2 電力刈取機
 3.7.3 高圧使用電気温水糟
 3.7.4 書籍の通信販売中止
 3.7.5 合併号
 3.8.1 1946(昭和21)年、日本国憲法の公布
 3.8.2 スーパーヘテロダイン受信機
 3.8.3 超小型ラジオセット
 3.8.4 動力が今日の米国をつくった

第4章 戦後復興
 4.1.1 1947(昭和22)年、電力制限を実施
 4.1.2 社名の変更
 4.1.3 誌上仲介サービスの開始
 4.1.4 「新電気」の創刊
 4.1.5 “感電”特集
 4.2.1 1948(昭和23)年、新たな素子の登場
 4.2.2 注目すべき新増幅管トランジスタ
 4.2.3 無線通信士資格検定試験
 4.2.4 新しい電気製品の紹介
 4.3.1 1949(昭和24)年、湯川博士がノーベル賞受賞
 4.3.2 創刊35周年 「電氣日本」から「OHM」へ復題
 4.3.3 日発中央司令所の大給電司令盤完成
 4.4.1 1950(昭和25)年、電気事業再編令
 4.4.2 新型計算機の登場
 4.4.3 ジェーン台風による被害
 4.4.4 国鉄のケーブル改修工事
 4.5.1 1951(昭和26)年、発送配電一貫経営の9電力会社が設立
 4.5.2 長岡半太郎博士の追憶
 4.5.3 我が国初の交流計算盤
 4.5.4 超高圧設計の金井−西東京送電線完成
 4.6.1 1952(昭和27)年、カラーテレビジョンが一般公開
 4.6.2 国鉄のマイクロウェーブ通信
 4.6.3 新北陸幹線用鉄塔の強度試験
 4.6.4 水力発電所事故
 4.7.1 1953(昭和28)年、テレビ放送開始
 4.7.2 競争するNTVとNHKのテレビジョン
 4.7.3 TVの大型受像管
 4.7.4 着々と進行する只見川の電源開発
 4.8.1 1954(昭和29)年、ソ連で世界初の原子力発電による送電開始
 4.8.2 佐久間発電所
 4.8.3 トラジスタの原理とその応用
 4.8.4 原子力電池と太陽電池

第5章 高度経済成長
 5.1.1 1955(昭和30)年、神武景気と家庭電化時代の到来
 5.1.2 仙山線の交流50Hz電化
 5.1.3 佐久間発電所の建設状況
 5.2.1 1956(昭和31)年、「もはや戦後ではない」(経済白書)
 5.2.2 佐久間ダムの完成
 5.2.3 佐久間幹線の人工故障試験
 5.2.4 東京駅まで延長した東京地下鉄
 5.2.5 東海道本線の全線電化実現
 5.2.6 無線操縦の玩具 ラジコン・バス
 5.3.1 1957(昭和32)年、宇宙開発と原子力平和利用が進む
 5.3.2 危険と困難を窮めた黒部第四の建設工事
 5.3.3 小田急の超軽量連接・特急電車(デハ3000形)
 5.3.4 国鉄の新鋭 モハ90形電車
 5.3.5 国鉄のSE車による高速度試験
 5.4.1 1958(昭和33)年、関門国道トンネルが開通
 5.4.2 トランジスタ電子計算機
 5.4.3 技術士法の施行
 5.4.4 第1回技術士試験の実施
 5.5.1 1959(昭和34)年、南極観測隊と「タロとジロ」
 5.5.2 我が国最大級の電源開発・南川越変電所
 5.5.3 希望対談 井深 大氏
 5.5.4 VTRに世界的新方式
 5.6.1 1960(昭和35)年、カラーテレビ放送開始
 5.6.2 新幹線のための連続網目架線試験
 5.6.3 初の空間無線式列車電話
 5.6.4 著しい電力需要増加への対処
 5.7.1 1961(昭和36)年、ケネディ大統領とガガーリン少佐
 5.7.2 座席予約用電子計算装置MARS-1
 5.7.3 世界初の気球延線に成功
 5.8.1 1962(昭和37)年、米英間の衛星テレビ中継
 5.8.2 純国産原子炉JRR-3の成功
 5.8.3 新幹線試運転を開始
 5.8.4 我が国最大の畑薙第一揚水発電所完成
 5.9.1 1963(昭和38)年、黒部川第四発電所が完成
 5.9.2 新幹線256km/hを記録
 5.9.3 原子炉による初の発電開始へ
 5.9.4 電力、通信のオリンピック協力体制整う

第6章 東京オリンピックから人類初の月面着陸まで
 6.1.1 1964(昭和39)年、東京オリンピック開催と東海道新幹線開業
 6.1.2 新潟地震の発生
 6.1.3 我が国初の4導体送電線 東京電力・第2東京南線
 6.1.4 漏電責任者の有罪ついに決まる
 6.2.1 1965(昭和40)年、新南極観測船「ふじ」と世界一のタンカー「東京丸」
 6.2.2 集積回路化時代を迎えた計算機
 6.2.3 驚異! マリナー4号の技術
 6.2.4 姿勢制御の段階にきた我が国の宇宙開発
 6.3.1 1966(昭和41)年、米ソは宇宙開発競争、中国は「文化大革命」
 6.3.2 アメリカ航空宇宙局(NASA)
 6.3.3 SENA地下原子力発電所へ核燃料出荷
 6.3.4 50万V送電 布石の年
 6.4.1 1967(昭和42)年、米ソ宇宙開発中の悲劇
 6.4.2 我が国初の超臨界圧火力発電所とガスタービン発電所
 6.4.3 出揃った電力3社の電気自動車
 6.4.4 電力のピーク夏に移る、渇水で電力供給ピンチ
 6.5.1 1968(昭和43)年、日本初の超高層「霞が関ビルディング」
 6.5.2 世界最高揚程の斜流水車が活躍する蔭平発電所
 6.5.3 中部電力で電力系統安定対策として画期的な安定運用装置が完成
 6.5.4 種子島宇宙センターで初のロケット飛翔実験に成功
 6.5.5 超高圧線を止めた公害調査気球
 6.6.1 1969(昭和44)年、学生紛争の最中、急速に進む宇宙開発
 6.6.2 人類初の月面着陸へ
 6.6.3 小形電子計算機の開発
 6.6.4 我が国最大の揚水発電所 安曇発電所
 6.6.5 山陽新幹線用試験電車が完成

第7章 世界2位の国民総生産 〜大阪万博/国内インフラ拡充/石油ショック〜
 7.1.1 1970(昭和45)年、我が国のGNPが世界2位に
 7.1.2 万国博覧会「EXPO’70」の開催
 7.1.3 モスクワ国民経済達成展覧会
 7.1.4 電電公社で電話計算サービス開始
 7.1.5 電気工事業法の施行
 7.2.1 1971(昭和46)年、「マイクロプロセッサ4004」が完成
 7.2.2 JNFが原子炉用核燃料を国産化
 7.2.3 新幹線250km/hへの挑戦
 7.3.1 1972(昭和47)年、「日本列島改造論」がベストセラー
 7.3.2 電子レンジの設置許可が不要に
 7.3.3 初公開された国鉄の磁気浮上走行試験装置
 7.3.4 500kV送電の実用化進む
 7.3.5 世界的規模の高電圧直流ケーブル開発研究試験設備
 7.4.1 1973(昭和48)年、第一次石油ショックが起きる
 7.4.2 我が国初の125kV油冷サイリスタ・バルブ連系実用化試験を開始
 7.4.3 大島電力が九州電力と合併
 7.5.1 1974(昭和49)年、コンビニエンスストアが初開店
 7.5.2 500kVガス絶縁開閉装置を全面的に導入
 7.5.3 中部電力が新送電線航空障害灯を開発
 7.5.4 試運転を開始した我が国初の自家用地熱発電所
 7.5.5 世界初のリニア・モーターカーを使用した国鉄塩浜ヤード
 7.6.1 1975(昭和50)年、米ソのロケットが歴史的ドッキング
 7.6.2 アメリカで発売された小形高性能電卓
 7.6.3 EXPO’75海洋博
 7.6.4 電源開発・鬼首地熱発電所いよいよ稼働へ
 7.6.5 我が国初の本格的環境調和送電線
 7.7.1 1976(昭和51)年、超音速旅客機「コンコルド」
 7.7.2 世界最大規模の直流連系
 7.7.3 世界最大容量の斜流型ポンプ水車
 7.7.4 首都高速湾岸線 東京湾海底トンネル
 7.7.5 超高速地表輸送機関を開発
 7.8.1 1977(昭和52)年、落雷による広域大停電が発生(米国)
 7.8.2 高速増殖実験炉「常陽」臨界試験開始
 7.8.3 連続運転世界記録を残した九州電力・玄海原子力発電所
 7.8.4 国鉄が「省エネルギー電車」の試作に乗り出す
 7.9.1 1978(昭和53)年、世界初の日本語ワードプロセッサー
 7.9.2 変圧運転方式を採用した沖縄電力・石川火力発電所2号機
 7.9.3 大規模地震対策特別措置法成立と宮城県沖地震
 7.9.4 地震検知システムの試験
 7.10.1 1979(昭和54)年、「PC-8001」と「ウォークマン」
 7.10.2 南極・昭和基地からのテレビ生中継に成功
 7.10.3 米国スリーマイルアイランド原子力発電所事故
 7.10.4 20世紀我が国電力業界の悲願 北海道−本州間の直流連系成る
 7.11.1 1980(昭和55)年、自動車生産1000万台を突破
 7.11.2 世界初の超電導電磁推進船の走行実験に成功
 7.11.3 太陽光発電プラントの集熱タワーが完成
 7.11.4 3 300Vの洗礼
 7.12.1 1981(昭和56)年、「IBM PC」の発表
 7.12.2 ニューヨーク市大停電事故
 7.12.3 260km/hで営業運転を開始したフランスTGV
 7.12.4 レーガン政権の対外原子力政策
 7.13.1 1982(昭和57)年、音楽CDプレーヤーが発売
 7.13.2 100万V級課電試験に着手
 7.13.3 リニアモーターカー 有人浮上走行実験に成功
 7.13.4 北海道初の森地熱発電所が完成
 7.13.5 奥利根総合制御所が稼働
 7.14.1 1983(昭和58)年、ファミリーコンピューターの大ヒット
 7.14.2 南極地域観測砕氷艦「しらせ」
 7.14.3 三宅島噴火
 7.14.4 プルトニウムの再燃料化
 7.15.1 1984(昭和59)年、「マッキントッシュ」を発表
 7.15.2 我が国初の人工島に築かれた関西電力・御坊発電所
 7.15.3 女川原子力発電所1号機が運開
 7.15.4 川内原子力発電所1号機が運開
 7.15.5 高浜発電所4号機が試験運転を開始
 7.15.6 新都市交通システム用リニアモータ・カー
 7.16.1 1985(昭和60)年、世界最長の青函トンネル本坑が貫通
 7.16.2 東北電力初の複合発電が運開
 7.16.3 「科学万博−つくば’85」が開催
 7.16.4 福島第二原子力発電所3号機が運開
 7.16.5 東京電力・富津火力発電所が運開
 7.16.6 北海道電力初の海外炭火力が運開
 7.16.7 九州電力 T字形基幹系統が運開

第8章 バブル景気
 8.1.1 1986(昭和61)年、「チャレンジャー号」の事故
 8.1.2 チェルノブイリ原子力発電所の事故
 8.1.3 緊急炉心冷却装置の作動試験を初公開
 8.1.4 新小野田発電所1号機が運開
 8.1.5 敦賀2号機が燃料装荷を完了
 8.2.1 1987(昭和62)年、「バブル景気」謳歌
 8.2.2 可変速揚水発電システムの長期運転試験を開始
 8.2.3 首都圏大停電
 8.2.4 OFケーブルの布設工事開始
 8.3.1 1988(昭和63)年、青函トンネルが開業
 8.3.2 電気学会創立100周年記念展示会
 8.3.3 鋳鉄キャスクの極低温落下試験
 8.3.4 九州地区で大規模停電事故発生
 8.3.5 津軽海峡線・青函トンネル開業
 8.4.1 1989(昭和64、平成元)年、「昭和」から「平成」へ
 8.4.2 OHMが創刊75周年
 8.4.3 送電線事故箇所探査システムの開発
 8.4.4 バイナリーサイクル発電の技術開発
 8.4.5 原子力発電所の事故・故障等の評価基準
 8.5.1 1990(平成2)年、「花の万博」が開催
 8.5.2 MCFC発電プラントを試作
 8.5.3 自動検針システムの実証試験開始
 8.5.4 時間帯別電灯料金制度の実施

第9章 20世紀最後の10年 〜冷戦終結/阪神・淡路大震災/パソコン普及〜
 9.1.1 1991(平成3)年、湾岸戦争が勃発
 9.1.2 自動化・ロボット化が進む 鉄道の保守機器
 9.1.3 竜飛ウインドパークの完成
 9.1.4 送電技能訓練センターのオープン
 9.1.5 自動検針の共同実施
 9.2.1 1992(平成4)年、アメリカで特許侵害訴訟
 9.2.2 東海道新幹線で営業運転を開始した新型車両「のぞみ」
 9.2.3 六甲新エネルギー実験センター完成
 9.2.4 OHM創刊1000号
 9.2.5 落雷位置標定システムの実用化
 9.3.1 1993(平成5)年、「Windows 3.1」日本語版が発売
 9.3.2 北海道と本州を結ぶ北本連系設備
 9.3.3 JR川崎発電所のリパワリング
 9.3.4 PHSの実験開始
 9.4.1 1994(平成6)年、英仏海峡トンネルが開通
 9.4.2 H-2ロケットの打ち上げ成功
 9.4.3 「もんじゅ」初臨界を達成
 9.4.4 東北・上越新幹線に新登場「Max」
 9.4.5 日本初の女性宇宙飛行士
 9.5.1 1995(平成7)年、IBM-PC/AT互換機の市場拡大
 9.5.2 阪神・淡路大震災
 9.5.3 マイクロ波による電力送電実験
 9.5.4 我が国最大の地熱発電所の運開
 9.6.1 1996(平成8)年、日本人初のミッションスペシャリスト
 9.6.2 100万V送電の実証試験を開始
 9.6.3 スーパーカミオカンデの建設
 9.6.4 高性能電気自動車の開発
 9.7.1 1997(平成9)年、世界最高531km/hを記録
 9.7.2 電気設備技術基準の改正
 9.7.3 E3系新幹線デビュー
 9.7.4 レドックスフロー電池を開発
 9.8.1 1998(平成10)年、「おりひめ・ひこぼし」のドッキング成功
 9.8.2 変圧器を使用しない発電機
 9.8.3 ロープ駆動式懸垂型交通システム
 9.8.4 FC潮流制御による電力広域融通の強化
 9.9.1 1999(平成11)年、新幹線車両の世代交代
 9.9.2 700系新幹線の登場
 9.9.3 軌間可変電車の試験開始
 9.9.4 超高圧送電線へCVケーブルを本格適用
 9.10.1 2000(平成12)年、2000年問題と閏年問題
 9.10.2 葛野川発電所1号機が運開
 9.10.3 本四連系線が全面運転開始
 9.10.4 紀伊水道直流連系設備の運開
 9.10.5 千葉火力発電所1・2号系列完成
 9.10.6 電線絶縁材のリサイクル技術開発

第10章 21世紀を迎えて
 10.1.1 2001(平成13)年、アメリカ同時多発テロ事件
 10.1.2 ハロン分解処理システム
 10.1.3 PCB一貫処理実証プラント
 10.1.4 新型ドクターイエロー登場
 10.1.5 世界最大級のPFBCが運開
 10.1.6 新世代電気自動車の試作
 10.2.1 2002(平成14)年、ノーベル物理学賞と化学賞をダブル受賞
 10.2.2 21世紀最初の国内原子力発電所が運開
 10.2.3 エネルギー政策基本法公布
 10.2.4 国内最大の配電用海底電力ケーブル
 10.2.5 日本人技術者がノーベル化学賞受賞
 10.2.6 世界初 ガラス基板上に8ビットCPUを形成
 10.3.1 2003(平成15)年、中国初の有人宇宙飛行
 10.3.2 MCFC商用1号機が発電開始
 10.3.3 北米で大規模停電発生
 10.4.1 2004(平成16)年、ファイル共有ソフト「Winny」の諸問題が顕在化
 10.4.2 世界初の1波長160Gbit/sデータ光送受信装置
 10.4.3 商用回線による内視鏡外科手術用カメラの遠隔制御
 10.5.1 2005(平成17)年、京都議定書が発効
 10.5.2 日本国際博覧会の開催
 10.5.3 世界初の液体窒素冷却超電導モータ
 10.5.4 燃料電池二輪車の開発
 10.6.1 2006(平成18)年、世界の人口が65億人を突破
 10.6.2 燃料電池ハイブリッド鉄道車両の開発
 10.6.3 バイオマス発電システムの試験成功
 10.6.4 首都圏で広域停電発生
 10.7.1 2007(平成19)年、各種電子カードが普及拡大
 10.7.2 気候変動に関する報告書発表
 10.7.3 PHV車の公道初走行
 10.7.4 新幹線高速化へ 量産先行車の製作着手
 10.7.5 アポロ以来の本格的月探査
 10.8.1 2008(平成20)年、「リーマン・ショック」による世界経済の混乱
 10.8.2 新系統の高温超伝導物質の発見
 10.8.3 MRJ事業化の決定
 10.8.4 国際航空宇宙展開催
 10.9.1 2009(平成21)年、太陽光発電の余剰電力買取りが開始
 10.9.2 太陽電池セルで世界最高変換効率を達成
 10.9.3 SiCダイオードを適用した分散電源連系インバータ
 10.9.4 国内初のプルサーマルを起動
 10.10.1 2010(平成22)年、小惑星探査機「はやぶさ」が地球に帰還
 10.10.2 東京電力初のプルサーマル発電
 10.10.3 IEEEマイルストーン認定
 10.10.4 多機能電力貯蔵装置を開発

第11章 社会とともに歩んだ100年
 11.1.1 2011(平成23)年、東日本大震災
 11.1.2 原子力発電所の緊急安全対策
 11.1.3 世界最高電圧の超電導ケーブルを開発
 11.2.1 2012(平成24)年、東京スカイツリー(634m)が竣工
 11.2.2 レアアース不使用の永久磁石同期モータを開発
 11.2.3 再生可能エネルギーの固定価格買取制度が開始
 11.2.4 スーパーコンピュータ「京」が完成
 11.3.1 2013(平成25)年、特許制度の国際調和が加速
 11.3.2 高い耐震性を備えた154kV変圧器開発
 11.3.3 温室効果ガス濃度が過去最高に
 11.3.4 電気学会創立125周年記念式典が開催
 11.4.1 2014(平成26)年、創刊100年目を迎えて
 11.4.2 第7回電気技術顕彰「でんきの礎」の発表
 11.4.3 スマートメーターの設置・検証を開始
 11.4.4 国内最大のソーラー発電所が竣工
 11.4.5 改正電気事業法が成立